京王百貨店 特徴ある取り組み
有名駅弁と全国うまいもの大会

京王駅弁大会物語

各地の駅弁を常時販売する店舗も存在する中で、大会の実演販売になぜあれほどの列ができるのでしょうか。実演販売を担うのは、調製元と呼ばれる駅弁製造会社のプロ達。会場で実際に調理・販売する調製元に、駅弁づくりの想いや大会にまつわるエピソードを聞きました。

淡路屋

ひっぱりだこ飯

淡路屋

明石の名物駅弁「ひっぱりだこ飯」は、タコ壺を模したユニークな陶器入り駅弁として知られています。この関西屈指の名駅弁を手掛ける淡路屋の取締役・柳本雅基さんにお話を伺いました。

*インタビューは2020年1月に実施

―淡路屋はなんと、第2回大会からほぼ連続*で駅弁大会に出店されているんですね!

*1971年(第6回)~73年(第8回)大会は出店せず

第2回大会から「肉めし」という駅弁で出店していたそうです。1965年に発売した駅弁で、ひっぱりだこ飯が発売されるまでは、肉めしが当社の看板でした。いまでも販売しているロングセラー駅弁です。

―淡路屋といえばひっぱりだこ飯の印象でしたが、肉めしで1998年まで実演販売で毎年のように登場し、同年までのランキングにもたびたび登場するほどの人気駅弁でした。そして、ひっぱりだこ飯が1999年大会で初登場。以降ベスト10の常連になっています。

ひっぱりだこ飯の発売は1998年、明石海峡大橋の開通を記念してのことです。発売から20数年ですから、肉めしのように70年以上のロングセラー駅弁が多い業界の中では、まだまだ新参者なんです。それなのに、いまでは「明石名物」と呼ばれるまでになりました。「名物」ってそう簡単になれるものじゃないんですよ。淡路屋は創業明治36年(1903年)、100年以上の歴史の中でも、名物と呼ばれる駅弁は数えるほどです。明石といえば明石ダコ、タコ漁といえばタコ壺、そして関西らしいネーミング…。ひっぱりだこ飯は明石の歴史や風土、文化をうまく表現できた駅弁なんです。

―最近はイカやカニなど、魚介の不漁が目立ちますが、タコはどうですか?

やはり、明石ダコ(真ダコ)も近年不漁が続いています。とはいえ、明石ダコがないとひっぱりだこ飯が作れませんから、年単位で買い付けて相当量を確保しています。駅弁大会での販売数量も計算しているので、地元や大会で不足するという心配はありません。ただ、仕入れ価格は年々高騰しています。いろんな工夫・努力で、お弁当の価格は据え置きで頑張っています。
明石ダコ(真ダコ)は明石海峡の早い潮流に流されないよう踏ん張るため、短くて太い足をしているのが特徴です。時間をかけて独自調合のタレで煮込み、食感は残したままかみ切りやすいやわらかさに炊き上げています。

―淡路屋にとって、駅弁大会とはどんなものでしょう?

「東京の駅弁大会」の発信力はすごいものがあります。ひっぱりだこ飯がブレークしたのも1999年の駅弁大会登場以降のこと。京王の駅弁大会はテレビの全国放送でも紹介されるでしょう?関西の駅弁を関東の方に知ってもらえる機会であると同時に、東京の駅弁大会に出ているんだと分かると、地元での売れ行きも良くなるんです。
そんな駅弁大会で、過去に一波乱ありました。2004年ごろの大会で、あまりの人気に実演販売での製造が追いつかない状態に。それで本社からひっぱりだこ飯を輸送して実演チームを応援しようという案が出たんですが、当時の職人頭の女性がものすごい剣幕で「実演販売に来ているんだから、輸送のものなんて私は受け取らない。出来立て作り立てをお出ししなきゃ意味がない」と。それで東京に出向いている職人たちが一致団結。急に作るのが早くなって、より多くの方に楽しんでいただくことができました。多くの方に買ってもらいたい一心での案でしたが、実演販売で出店する意義は「出来立て作り立て」をお客様に楽しんでいただきたいという想いだということを改めて認識させられた出来事でした。今でもその職人には感謝しています。

―「実演」「輸送」の区分けは、当社もとても大事にしています。レアものに出会える「輸送」、方言が飛び交う会場で現地の方が作る「実演」、この2軸があってこその大会ですね。今後の抱負を教えてください。

ここ数年は、タコ壺を金色にしたり有名キャラクターとコラボしたりと、明石名物をもっと多くの方に知ってもらおうと奮闘しています。メインは中身、あくまで器は添え物ですが、それも含めて楽しんでいただきたいので。タコ壺をヒントに、コーヒーカップまで作りました。
今後は、明石名物ひっぱりだこ飯にならぶ、神戸名物と呼ばれる駅弁を作り出すのが目標です!

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